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あこがれの人材像
自分の本業とは別の得意領域を持てば、新しい仕事が見えてくる 牧野寛幸氏
現
在の自動車設計・開発工程は、かつてに比べて大幅に短縮化・効率化されている。これを支える技術のひとつが、コンピューターを利用して設計を行うCADシステムだ。CADなら紙の図面に比べて設計の修正も容易で、複雑な曲面も自由に表せる。さらに、CADで作成したデータを元に物理シミュレーションを行ったり、直接工作機械を制御して部品の型を製造したりすることも一般的になってきた。CADなしで現代の自動車産業は成立し得ないのである。

日産自動車(株)車両生産技術本部の牧野寛幸氏は、1980年代からCADに関わってきた。しかし、初期のCADはとても実際の設計現場で使えるようなものではない。牧野氏は少しずつ改善を重ねて、現場で使えるツールに仕上げていく。そして、社内の設計体制をCADベースに移行するためのプロジェクトを主導。現在主流となっている設計スタイルの基礎を築くことになった。
黎明期のCADを「使える」ツールへ
──牧野さんとCADの関わりはどのように始まったのでしょう。

大学では生産機械工学科に在籍し、4年生になって将来何をすべきか考える際、当時まだ目新しかったCADに注目しました。1980年に日産自動車(以下、日産)に入社したのですが、生産技術部門でCADを志望していたのは私ひとりくらいでしたね。

配属されたのは工機工場(現在の車両生産技術本部プレス技術部)で、ここでプレス部品の型設計とその設計に利用する2D CADソフトウェアの開発を担当することになります。自分でも型の図面を描いては製造現場にも出向き、同時に必要なCADを開発していくわけです。このように現場とソフトウェア開発の両輪で仕事を進められたのはとてもいい経験でした。

当時のCADは、現在からすれば非常に貧弱なレベル。日産が社内開発した2D CADシステムはミニコン上で稼働していましたが、それでも扱えるデータ容量は数十KB程度でした。私の最初の仕事は、この2D CADシステムを改良し、仕事で使えるものに仕上げていくことでした。オブジェクトをパラメトリック(寸法を変数化して操作すること)に変形する機能や、今でいうマクロ機能なども追加しましたね。機能の数としては市販製品には及びませんが、実際の設計現場で使えるものに仕上がったという自負はあります。

1990年からは、日産の開発体制を3D CADへ完全に移行させることになりました。3D CADについては社内開発ではなく、外部ベンダー製品を活用していくこととなります。私の仕事内容も、社内の要求をとりまとめてベンダー側に要求を伝えるというマネジメントが中心になっていきます。私の場合、2D CADの開発において、上流の部品設計や鋳鍛造の担当とも一緒に仕事をする機会があったため、全社的なワークフローやCADの使われ方も把握していました。これは珍しいパターンで、今同じような立場で仕事を経験できる人はほとんどいないかもしれません。

3D CADへの移行過程では、最初のうちは大変なコストがかかり、ある車種の設計では億近い赤字を出してしまったこともあります。クビを覚悟していましたが、当時の上司に理解があったおかげで、きちんと目標レベルに持って行けと励まされはしても、吊し上げられたりするようなことはありませんでした。今でも感謝しています。

担当の若手設計者ががんばってくれたことも大きな支えでした。5年ほどで3D CADへの移行プロジェクトは完了しました。また、90年代後半からはコンピューターの性能が飛躍的に上がったことで、複雑なソリッド設計も低コストで行えるようになったのです。
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1980年
22歳
日産自動車に入社、工機工場・型設計課に配属

「今後、ロボティクスやCADの時代が来る」との考えに至る。そのためのソフトウェアが重要であることと、生産面でのロボットの重要性を、見本市などでの情報収集の結果として認識する。設計実務とCAD開発実務の両方を経験することが重要と考えた。

1990年頃
30歳代前半
型設計の3D化と手法の確立

CADコストの低減が強く求められていた。パソコン版ソリッドCADを強力に推進する上司と、自らが進めてきた内製CADとの競争となる。社内だけでなく社外まで広く活用し、オーソリティと考えられる人たちによる説得力のある意見を得ることの重要性を認識した。

1996年
38歳
型設計課の課長に就任

課長としてのミッションは、3D CADのラインへの導入から完成まで。3D設計への移行による一時的なコストアップに対し、上司の理解を得られたことが励みになった。外注設計まで含めた、若手技術員の頑張りも刺激になった。明確な方針・目標の重要性を認識。CADのデータを利用する技術(例:鋳物づくりへの活用など)を習得した。

2002年
42歳
型設計・製作の原価低減推進担当職制を経験

型のコスト戦略など、広い視野で考える必要があることを多くの上司から示唆された。戦略策定能力を身に付け、ベンチマークに携わる。また、チームとしての組織運営能力を得た。

2004年
46歳
社内横断のV-パイロット?エキスパート(専門課題解決請負人)業務を経験

当時の部長から2年間で、それまでの担当領域の狭さを解消すべく人選された。課題を把握する力?問題解決手法、さらには人的ネットワークが重要であることを認識・習得した。

2006年
(現状)
48歳
車両生産企画部の主管に就任

生産技術に関する企画・立案を担当。全社的な視点から、いくつもの課題が投げかけられているのを目のあたりにする。課題を把握する力?問題解決手法、さらには人的ネットワークを活用・開拓しながら、解決に努力している。
【関連ページ】 各事業の紹介 : テクノフェイスプログラム ~高度機械部品の開発・設計・生産能力を有する融合型人材の育成~
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